2013年09月13日

目標設定

幸か不幸か、営業から納品に至るまでの一連の取引の流れは任されていたし
把握していたので、独立するにおいてその点での不安はさほどなかった。
でも、経営の基礎は出来ていない。ざっくりとしたイメージしか掴んでいなかった。

悩んだあげく、独立すると決めた。

心づもりが決まってからは、帳簿の付け方から何から経営に関する基本的な知識に伴い、投資や資産の運用といったいわゆる「社会の仕組み」なんかを勉強した時、経営者側からみる視点は、まさに目から鱗が落ちる思いだった。

サラリーマン時代には考えも及ばない世界が広がっていた。

勤めていた経営者からもいくつか助言をいただいた。ありがたい事だ。
過去に、自己都合で退職した会社とは疎遠になっていたが、後の事を考えると、円満退社で関係性を持続する方が、得られるものは大きいと知る。今でも、その経営者との交流は頻繁ではないが途絶えていない。今もって尚、学べる事が多い。

暗中模索のなか手探りであれこれやってきたけど、起業してからの何年かやってきた事を改めてトレースすると、もっとうまくやれたのになぁと思う。

この時点でも目標が定まっていない。

だから、結局ひとおとり慣れて軌道に乗ってしまうと惰性がやってくる。
目標なしではモチベーションを維持するのはむずかしい。

なんとなく生きていけるのはホントにコワい。
なにせ危機感が生まれない。

仕事がなくなってきて初めて危機感を持つ。
機転の利く人なら、うまくいってるうちに次の一手を考えるのだろう。

ひとりでやれる事には限界もあるし、知り得る情報にも偏りがあるし、やはり視野が狭い。第三者の協力や意見は大事だという事と、何より、明確な目標を持つ事が大事だという事を学んだ。

目標を設定し、今また再起動した。
スタートが遅くなった今となっては出来る事も限られてくるが、やれるとこまではやらないと先には進めない。

ただ、一人で何でも自己完結で片付けようと考えるのはやめた。
所詮、桶は桶屋だし、任せられるとろはプロに任せた方がいいし、新たな人脈も広がる。

それと同時に、周りに同じ目標を持って協力してもらえる人や、環境をつくりはじめた。
それだけでも成長したと思う。成長していってると思いたい。
posted by アカツキ at 16:41| 愛知 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年09月12日

あなたの将来像

自分のやりたいことってなんだろうって考える。目標はとくになかった。
あなたの将来像って何って聞かれた。

迷いなく答えられる人はどれだけいるのだろう。

幼少の頃から語学や楽器にもっと積極的に触れる機会があったら、もっと人生の選択肢は変わっていたんだろうなって思ったりする。

それは言い訳なのか。

大人が若い人に「今、勉強しておかなきゃ先が大変だよ。」ってのは今になって実感する。と同時に”何を勉強するべきだったのか”。
自分が通った塾と言えば、習字とそろばんだった。英語やピアノなんかだったりを習いたいなんてのは思いもしなかった。そういった類いの習い事に通うのは、なんか遠い世界の感じがした。
そんな時代だったと思う。だからこそ、その当時そこに注力できる環境にあれば10年後、20年後の今、実践的かつ希少性のある技術は価値を生む。

親は勉強を頑張れと言う。当然だろう。

後が大変だよと言う。大変?

しかし、それは漠然としすぎてて、子供だった自分には「自分の将来において何が大事で何が必要なのか」が、いまひとつ実感として伝わってなかった。

基礎学力は大事だとは思うが、日常生活において、何の役に立つかはわからないけど多分必要なんだろうという感覚だ。実際、社会で求められる実用性はまた別のものだ。

うちは一般的なサラリーマンの家庭に生まれ育ち、当たり前や普通を好み、子供の自主性を尊重するといういわば放任主義だった。結果、目的意識が低く、ただなんとなく毎日を過ごすしがない中年が出来あがった。
まぁ、自助努力や「気付き」も怠っていたので、全てを親の責任に押し付けはしないが。

なんとなく生きていけるのはある意味コワい。

子供に危機感を持てというのはムリがある。だから、ある程度の選択肢を与える環境や、指針を示すのが大事なんじゃないかと思う。

社会の実際におけるお金の使い方や意味、投資や運用の仕組みなんかも知り得る環境にはなかった。
日本の教育ではあながち目を伏せたがる部分ではないだろうか。株は怖いもの。借金はするな。起業なんて…と教えられる。中身や仕組みを知るのと知らないのとでは大きな違いがある。

ともあれ、会社に就職する事がまずもっての目標だったから。社会経験を積むという意味では意義があるが、ステップアップとしての通過点としては考えていない。やはり、まんべんと過ごすだけだ。

社会に出てから、後にそういった経済の仕組みなんかに自分で「気付く」時までに、なんと無駄な時間とお金の使い方をした事か。若き起業家の声を聞いたりすると、あぁ、スタート地点が全然違うんだなぁ…とつくづく思う。

一つ目の転機になったのは独立してからになる。
posted by アカツキ at 12:48| 愛知 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年09月10日

風立ちぬ

観てきましたよ。風立ちぬ。
純粋に面白かったですよ。ひさびさに良い映画を観たなぁって思いました。
ドラマに近い感じだったけど空想や夢のシーンなんかは実写では表現しづらいから、ある意味アニメの新しいジャンルを感じたね。

観に行った二人して途中から号泣してたんだけど。
別の機会に観に行ったほかの友人は、なんかピンと来なかったと言っていた。
なるほど、やっぱり人によって捉え方は様々なんだなぁ…と実感した。
まぁ、確かにサブタイトルの「生きねば。」は観る前もぼんやりしたテーマだと思ったし実際観た後も、う、うーん?って思ったけど。

捉え方と言えば、幸せの感じ方ひとつとっても、好きな物事に熱中し、没頭できるものがあれば、もちろん本人にとってみればこんな幸せな事はないが、程々に仕事して、家庭で過ごす事が何よりの幸せを感じる人もいる。
そんな人から見れば、前者の感じる幸せはただの独りよがりに映るだろう。

きっと大事なのは「自分にとっての幸せ」が何か?が、きっと重要なんだろう。
テーマでもある善も悪も絶対的なものではなくて、同じ事象でも視点や立場によっては、どちらにもなり得るって事ですね。

たまに聞くのが、「自分よりも他の人を幸せにしたい。」
人の為にと想う事で得られる幸せは、実は相手にとってはそうは感じてない部分があるかもしれない。
言ってみれば自己満足に近い気がする。

まず、自分が幸せにならないと、他の人を幸せに導くような心の余裕は生まれないだろうし、そもそも不幸を背負ってるような人に、幸せにしてもらおうなどとは思わないだろう。
もっと言えば自分を幸せに出来ないような人が、他人を幸せに…などとは、ちゃんちゃらおかしいわけで。

社会的にはそう冷静に考えられても、まぁ恋愛が絡んだりすると、こう、理不尽な想いなんてのも出てきちゃうでしょうね。

病床の菜穂子が寝ている横で二郎がタバコをふかすシーンを巡って、様々な意見が出ているようだけど、あれとてそのシーンだけ切り取ってみれば不快に映るかもしれない。
奈緒子が吸ってもいいって言ったとしても我慢しろやって突っ込みたくなるところだが、話の前後からすれば、やはり二人の心象を語る上で重要なシーンであったように思う。

ちなみに私は、たばこは一切吸わないが、さして不快だとは思わなかった。

宮崎監督も今回をもって長編映画からは引退(以前にも聞いた気が…)との事ですが、あぁ、ひとつの時代が終わったんだなと思うと、なんか寂しいね。
posted by アカツキ at 15:51| 愛知 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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